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それはきっと、ずっと(原案:更級日記)

清少納言が宮仕えをはじめたのは二十七の時という。
女ざかりを過ぎて、決して顔も良いわけでもない
(私が言ったのではありません。当人が言ったんです)
女房が、その機知から愛され、浮名を流すというのは、
私には夢のある話に思えた。
その相手も実方さまや行成さまと実に華やかだ。

紫式部さまも素敵だ。
一途に夫である信孝さまのことを想う。
こういう生き方も透き通った美しさがある。
何より『源氏物語』の礎が、
宮仕え生活にあったと考えると、希望がある。

そう、希望。
宮仕えは私にとって、ちょっとした希望だった。


姉の遺児を引き取って育てていたら、
私の婚期は遅れに遅れた。
「いっそ宮仕えでもして、
貴公子とはいかなくても、
気の合った男と出会い、
好き合って、結婚できたら。
それはきっと素晴らしいことだわ」
地に足のつかない私の
提案……というより夢想を、
現実家の父がどのような心境で
許したか……。
考えると、ありがたいような、
申し訳ないような。
叱ってくれてもいいのにな。なんて。

ともあれ、私は宮仕えをすることとなった。
もう三十を過ぎてのことだ。

なんのことはない。
何もなかった。

私の淡い、
もしかしたら父もしていたかもしれない、期待も。
それ以上に心配も。
まったくの不要であった。

はっきりいって、私はモテなかった!
笑える。

と、なると、所作やら服やら和歌やらで、
相手の気持ちを探りあったり、
その場に合った返しをしたりするのは、
ただただ辛いことでしかない。
まともにできて人並みの扱いで、
出来なかったらどう思われるか
気が気ではない。
しかもそれを日々の仕事の合間に、
息をするように皆がしていることだから
恐れ入る。
これじゃあ休みもないじゃないか。
いつも気を張っていなくてはいけない。

甘いもんじゃないよなとは思いながらも、
それなりに傷ついている自分もいて、
それがなんだか身の丈知らずに思えて、
情けなく。
このうえ体も心も疲れて、
引き寄せられるように
日の当たる中庭に足を向けるも、
私の居場所でもないような気がして、
その中でも特に、隅の方につと進むと。

冴えない顔の女が二人いた。

気配を察してか、
私が声をかけるまえにこちらを向き、
ふた呼吸分私の眼を見た後、
ふ……と吹き出した。
二人ともだ。
「こちらにいらっしゃる?」
と、日陰のなかでもまだ、
暖かい、湿り気の少ないところを
勧められ、腰を下ろした。

一連の所作に、人を試すが感じなく、
なんとなく好ましく思って、
宮仕えに就いてから
はじめてうちとけて人と話した。
聞けば彼女たちも、
「過度の期待」組であった。

和歌のいろはを詰め込んでも、
時や場に沿って使いこなせるかは
また別の話。
さらにその既知を、
たまたま貴公子が聞きつけることが
あるかというと……ない。
引きこもって磨いた叡智も、
着物の色合いの知識も、
薫き物に凝らした趣向も、
全て顧みられることなく、
ただ、日常のこまごまとした仕事に
忙殺されて傷ついている私たちは
なんとも気が合った。

モテている奴は
今の環境がたまらなく心地よいだろうが、
私たちからすれば、息苦しいこと
この上ない。愚痴の一つでも
言いたくなるが、だれに言ったらいいものか。
いっそ、手製の仏像に、念仏のふりして
ぶちまけてやろうか……。なんて。
思っていた矢先の邂逅。
御仏の導きはある。ほんとうにね。

そのようにして何か月が経ったか。

さて、うららかな日差しの下、
昔読んだ物語の――やっぱり源氏が人気
誰が素敵だとか、どこが面白いとか
どの和歌が好きだとか。
話して、心を美しい空気で満たした後、
今日受けた仕打ちの――どこにも小姑はいる
誰が腹立たしいとか、何を言われたとか
どう報復してやりたいとか。
今更貴公子もないわよね、なんて
希望を持って宮に来る子はばかよ、と
私たちの仕事の旨味を全否定してみて、
太陽が目をそむけたくなるような話をして、
あ、もう時間……なんて、三人、別れて。

それっきり。

急の父の知らせで実家に戻ったら、
私の縁談の話がまとまっていた。
相手は下級役人で、まあ、固いところだ。
なんのことはなく、堅実な父は、
私の宮仕え大作戦に何の期待もしておらず、
それどころか、姉の子供を育てた
ご褒美程度にしか思っていなかったようだ。
その足るを知る感じ、チクチク胸が痛む。
別にいいけどさあ……。

宮仕え自体は続けてもいいと言われながらも、
進んで嫌な思いをするのも気が引けて、
それでもあの二人のことは気がかりで、
和歌を送った。
まさか男を落とすためでなく、
大好きになれたかもしれない
もしかしたら、もうなっていたかもしれない、
女友達のために、今まで磨いた技巧を
駆使して歌を作り上げるなんて。
やっぱ私はしまらないなあと、笑える。

「袖ぬるる 荒磯浪と 知りながら
 ともにかづきを させいぞ恋しき」


あんまり宮仕えを悪く言うのもアレだから、
宮での仕事を、海女の仕事に擬した。
荒磯とは宮のことだ。
だから表の意味は
「潮水で袖が濡れてしまう荒波とは
 思いながらも一緒に潜った日々が恋しい」

で、裏の意味は
「涙で袖が濡れてしまう宮仕えとは
 思いながらも一緒に働いた日々が恋しい」

となる。
少しだけ、荒波にすくんで、
もう飛び込めない自分を申し訳なく思いながら。

日もおかず返事がきた。

「荒磯は あされど何の かひなくて
 潮にぬるる あまの袖かな」


返事が来たこと、それもすぐに来たことが
嬉しかった。でも、それ以上に、
私の歌の趣向に合わせてくれたのが嬉しかった。
こういう悪ふざけに、
本気のまごころをこめて付き合ってくれる。
必要以上にしょぼくれた歌で、
私が宮に行かないのも、仕方がないことだと
気を遣ってくれていた。
「荒波に潜り 海のものをあさっても
 何の貝もなくて ただ濡れてしまった
 私――海女――の袖であるよ」

「宮仕えをがんばっても
 何の甲斐もなくて
 ただ涙で濡れてしまった私の袖」


もう一人からの返信は、
少し時間がかかった。

「みるめおふる 浦にあらずは 荒磯の
 波間かぞふる あまもあらじを」


「みるめ」とは「海松布」、つまり海藻。
こちらも心を合わせてくれた歌だ。
「海藻が生える海岸でなくては
 荒波で頑張る海女もいなかろうに」

「あなたに会う機会がなくては、
 辛い宮中で頑張る人なんかいませんよ」

……手紙の最後には、
結婚相手の仕事の都合で
今は筑前にいます。と、
なんてことのないように書かれていた。

その晩、私は寝付けなかった。
煌々とした月は、曇る気配を見せず、
西へと傾いてゆく。
世の中の辛いことも、情けないことも、
……面白かったことも、
お互いに語り合った人。
寂しくて、恋しい。

そういえば、以前もこんな夜があった。
月のまぶしい夜。
何となしに宮中に集まった私たち。
照る月の光で、
影のなかにまた私たちの影ができた。
不気味さよりも、おかしさが先に出て
三人で笑った。
雅だとか怖いとか思わないで、
笑ってるからモテないのよ、と、
ケラケラと、だれも悪びれない。
影も光も、どれだけ見ていても飽きなかった。
いつまでも見続けられると思った。

とうとう零れた涙のひとしずくを、
月は見ていたのだろうか。
もし見ていたのなら、
西にいる彼女に伝えてほしいと、
そう思いながら、
いつまでも見続けていられそうな月が
きっと私が行けないところまで
下っていく姿を
見つめていた。

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