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この期に及んでTVアニメ「アイドルマスター」終盤の話。

この週末、バンダイチャンネルの会員となって、
「アイドルマスター」の終盤を楽しんでいました。

当時は前のめりで楽しみすぎていたため、
あんまり冷静な解釈が出来ませんでしたが、
改めて見ると、これ、傑作ですよね。
今日はちょろっとそのことを書きたいと思います。



・終盤ってどんな話だったっけ?

いわゆる千早問題(千早さんが過去のあれこれを乗り越え、事務所に帰属意識を持つ話だよ)を乗り越え、
年末の忙しい時期、765プロは引っ張りだこの絶好調!というあたりの気持ちのすれ違いが、終盤の見どころだと思います。


転換点である22話
事務所のアイドルたちが忙しくなって、
「みんなで一緒に」歌ったり、踊ったり、集まったりが出来なくなった。
春香はそんな中
「事務所でクリスマスパーティーをしたい」と提案します。
その提案を叶えようと奔走するプロデューサー。
「優先順位を考えなさい」と言いながらも協力してくれる律子。
「全員は集まれないかも……」と思いながらも、ホールケーキを買っちゃうアイドルたち。
かくして事務所のメンバーは全員クリスマスに集まり、
そのことを喜んだり、
もうこんなことは出来ないかもと、
少し寂しげに語り合う。

この話、どう思います?

ボクははじめて見た時、夢物語みたいだと思いましたよ。

アイドルがクリスマスなんて稼ぎどきに、仕事を早々に切り上げて、
金にならない身内とのささやかなイベントに興じる。
少しでも社会というものに接していたら、
コネや利益を度外視して、パーティーをするなんて選び得ないと。

でも、これが765プロなんですよね。
「業界」「社会」の常識を敢えて無視して、「身内」を大事にする。
だって「業界」や「社会」の常識って、「業界」や「社会」が存続するための都合ですからね。
別にそれを守ると生きやすく、あまり考えなくて良いというだけで、
絶対に守らなきゃいけないというわけではない。
もちろん単純に破りゃあいいというわけではなく、
22話においては「落とし所」を探れていたわけですな。
(劇場版の合宿も、見事な「落とし所」感がありました)


ただ、23話以降、落とし所が探れなくなっていきました。
年の瀬の忙しさは、
個人の裁量でどうなるレベルを超えていたからです。
「みんなで一緒に」を続けるためには、
年明けの事務所ライブを成功させることが必須です。
「765プロ」というブランドのもと素晴らしいライブをぶち上げなくては、
「765プロ」のメンバー全員を集める理由は薄くなるからです。
765プロメンバーによる生放送番組の打ち切りも、
春香に焦燥感をもたらしました。
多くのメンバーは、忙しくなって会えなくなることは
「アイドルとしては仕方ないこと」と諦めていたからです。
その温度差が、悲しい結末を呼び、
自分のやっていたこと、自分のあり方に春香が疑問を持つようになったのが23話でした。


24話は春香が自分を見つめなおす話ですが、そのプロセスが面白いですね。

1、ジュピターの存在
ジュピターは所属事務所の社長の横暴が許せず、
大手プロダクション961プロから移籍し、
現在は小さな事務所でがんばっています。
その事務所はアイドルがライブ設営の手伝いをしなくてはいけないくらい小さいところですが、
裏方のスタッフとの交流や、自分でライブをつくり上げるのを、彼らは楽しんでいます。
そしてジュピターの冬馬は「お前らを見習って」こうしてみたと、
春香たちのやり方は決して間違っていなかったとお墨付きをくれます。

2、過去の自分との邂逅
滅入っていた春香は、過去の自分の幻影を見ます(ひでえ説明だ)。
その子は言います「アイドルになって、みんなで楽しく歌う」と。
1話において春香は「アイドルは夢、小さいころからの憧れ」
と言っていましたが、
彼女のアイドル像は、社会や業界が提供したり、
通念となっていたりしない、
もう、子供の放言みたいなものなんですね。
ただ、その分手触りがあって、彼女の核になり得るものだった。
それを取り戻したんですな。

3、事務所の皆からのメッセージ
上記のように、ブレがなくなり、手触りのある夢を再確認した春香を後押ししたのは、
事務所の仲間たちからの街頭テレビを通してのメッセージでした。
街頭テレビという「業界的」「社会的」なメディアを使って、
「身内」に呼びかける行為は、
それらに反しているといっていいでしょう。
つまり「業界」や「社会」よりも「身内」であるあなたが大事です。
事務所のみんな、あなたと同じ気持ちですよ。ということの表明です。
(ついでに、こんなことやったら反発から仕事は減るでしょうから、
 歳末問題も解決するわけですな。すげーや)


こんな風に、アニメ「アイドルマスター」の終盤って、

「社会」や「業界」の常識を当然だと思わず、
(それはそれで上手くつきあって)
「自分の考え」を大事にしていこうぜ。

「アイドル」ってものを、遠いものとして捉えずに、
(もちろん「社会」や「業界」の押し付けるイメージとも違う)
自分が実感のもてる「手触り」のある、アイドルやろうぜ。

なんだかんだで「身内」大事だよね。
そいつらのこといちばんに考えようぜ。
とりわけ、それが「手触り」のある、アイドル像ならさ。

ということを描いていると思うんですよね。
それは全て、25話の社長の
「彼女たちこそ、私が事務所を作ってまで追い求めた、
アイドルの完成形なのかもしれない」に集約されていると思います。


どうしても社会生活を送っていると、
春香の考え方はわがまま……みたいに感じてしまうんですが、
それはあくまでも「社会」側に寄り過ぎた観方なんですよね。
立場に考え方が支配されているというか、
考えるのがめんどうだから立場に考えるのを任せたか。

こうしてそんな自分を自覚させてくれて、
ちょっと身近な人たちのためにがんばってみようかななんて思わせてくれて、かつ、ただ見ていても面白い。

ボクがTVアニメ版「アイドルマスター」が傑作じゃねえの?
と思ったのはこのへんからです。


いちばん最初にも書きましたが、
現在バンダイチャンネルで無料配信中なので、ぜひ。
シンデレラガールズを楽しめている人なんか、特に~。


(どうでもいい話1)
劇場版で、可奈ちゃんがドロップアウトしたのは。
自分が思うアイドル像というのに手触りがなかったから
だと思います。
言っちまえば、ファンさえいればアイドルなんですよね。
目標はあっても、それがあまりにも遠くはなれていたり、
自分の実感がないと、
夢として共に歩けないというのはあると思います。

(どうでもいい話2)
いや、別にディスク版で収録しろとは思わないけど、
配信版、最終話の曲タイトルが
間違ったままなのどうにかしてくださいよ!
「いつまでもどこまでも」と「私たちはずっと…でしょう?」
は、全然違いますし、作詞家にも失礼です。
明示したら、いつまでも続かないし、どこまでも行けないんですよ!
「…」と書かないことで、無限の可能性と、
書かなくてもわかってるよね?という信頼感が生まれ、
ずっと「…」できるような実感が生まれるんですよ!

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