Top > スポンサー広告よしなし事 > 石田エッセイ 3人目

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

石田エッセイ 3人目

・奥義
最近「奥義」は物事の最深部にあるスイッチを押すと、
入り口の下からせり上がってくる宝箱の中にあるのではないかと、
考え始めた次第です。
いきなり「奥義」を見つけちまう人がいることも、
スイッチを押した感覚はあれども、確信が持てない感じ、
スイッチから原点までトボトボと同じ道をたどる心細さも、
説明がつくのではないかと思うのです。
まあ、未だ一つの奥義も持ちえぬボクの想像ですが。
そんなことを考えつつ、奥義までの道を耐えようと考えております。

ちなみに、着想のもとはYAIBA(笑 /青山先生風)


・白痴になる言葉
今更カルデなんとかの話。
先週あたり朝日の新聞でデカデカと
「法か人権か」という文字が載っておりました。
しかしこれは正しくない。
正確には「法か、犯罪者の子供としての人権か」でしょう。
ですが、どこまでが犯罪者の子供の人権であるかというのは
ボクの興味の範疇外だ。
ボクが気になるのは軽軽しく用いられる「人権」という言葉です。
安易な二元論に仕立て上げる為か、キャッチーであるからか、
そればかりではありますまい。この言葉を用いたのは、
「人権」という言葉を見ると、結構な数の人間が
その方へ流れると見越してのことではないでしょうか。

我々には、教育のためか抗いがたい言葉があります。
それは「平和」であったり「平等」であったり、「善意」であったり、
「民主主義」であったり、最近では「エコ」などがそうでしょう。
これらの言葉の前では「多分そっちが良いのだろう」という
意識が働き、二元論のときなど、自然とそちらを選ぶでしょう。
それは思考を奪う、我々を白痴にする言葉です。
平和教育くらいの範囲で、皆で平和のお題目を唱え、
何も考えず白痴になってヘラヘラ、幸せでいるというのは、
やや宗教的なきらいもありますが、まだ無害でしょう。
(ボクは狂いきっていると思いますが)
ですが、それを熟知し、自らの意見を通す為に用いる
小汚い奴がいるということは、多分にして事実でしょう。

果たして「抗いがたい言葉」などあるのか?
という疑問のある方もおりましょうが、
「平和」や「民主主義」にタテツク人間が、
往々にして悪ぶっていたり、反動的だったりするのは、
その証左とはなりませんか。
「エコエコ言うなら、おめーんとこの会社の火とめて、舌噛んで死ねよ」
なんて言いたくなりませんか。それはボクか。そうか。
舌を噛んでもあんまり死ねないようですが、さて置き。

ボクの平和は、ある人の平和を踏みにじって在るでしょうし、
ボクの考える平等は、多くの人の平等とは重なりますまい。
お題目も白痴ゴッコももういいでしょう。
その言葉は、世界が見る夢の姿など指してはいない。


・いい加減
普通の更新に戻ろうかなと思います。
まだまだ書こうと思っていた事もありますが、
(エロ万歩計、エロ将棋の話)
あんまり一気に書くのもなんでしょう。
まあ、楽しゅうございました。

スポンサーサイト

Tag : 日常

 編集・削除に必要
 管理者だけにコメントを表示

Trackback:

TrackBack URL for this entry
http://tanakan.blog10.fc2.com/tb.php/174-a14c64cd
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
Listed below are links to weblogs that reference
Search

Return to page top

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。